「一曲踊ってもらえますか?」

言って優雅に差し出された左手。
しかしその手に白い手が重ねられることは無かった。

「またの機会に」

瞳を柔らかく細めて、軽く一礼をされ、男はすごすごと下がるしかない。
しかし男はその瞳が細められたことを微笑まれたと勘違いし、断られたにもかかわらず頬を染める。




扇の奥でその口元が、ひくついていたとも知らず。






「愛想笑いも大変みてぇだな。
「そう思うなら代わってよ」









+cat poison+
















普通にして3階分ぐらいもあろうかというほど恐ろしく高い窓の外は、宵闇色。
きらめくシャンデリアの下で、着飾った人々は笑いさざめいている。


女性は上品に扇で口元を隠し、男性は片手にワイングラスというのが大体の様子だった。


貴族、ゴードン卿のパーティ。
が潜入しているのは、それ。


「おい、あれ取れ」
「えー、また?」
「早くしろ」
「まったく」

小声で会話した後、はしぶしぶその料理を皿に取る。
そして目線で周りを確認すると、足元にそっと皿を降ろす。

と、黒猫が左から周ってきてそれに口を付ける。
三口ほどでたいらげたのを確認すると、はそれを近くのボーイに渡した。

「・・ちょっと塩利きすぎてんな」
口の周りをぺろりとなめまわした猫が言う。

「贅沢なのよ、猫のくせに」
猫の肉球付きの前足でぎゅっと足を踏まれて、ただでさえ慣れないヒールのせいで痛い足が悲鳴をあげた。

「ちょっと!やめてよユウ!」

「ふん」
鼻で笑って、神田はそっぽを向いた。

よっぽど蹴ってやろうかと思っただが、そんなところを周りに見られてはやっかいだし、何より後の報復が怖かったので断念した。









「で、なんか情報は見つかったのかよ」
「微かにね」
今二人はバルコニーに移動してきている。

ここなら先ほどのように小声で話す事も無い。
それに、男がダンスに誘うことも無い。



ホールの真ん中でうろうろと歩き回って情報を集めていただったが、同伴も居ない女性が一人でのパーティ出席と言うことで、これ幸いと男が寄ってきたのだ。

初めの一度はこれも付きあいと思い、しぶしぶとその手をとってダンスをした。
が、その男は腰に回していた手をそのまま下げて、のお尻をなでたのだ。

悲鳴をあげる前に、何故か神田が飛びだしてきてその男のふくらはぎをバリっと掻いたおかげで、難を逃れたが。

以来ずっとダンスは断っていたが、それさえ疲れて来たので、こちらに来たのだ。




「ゴードン卿は56歳。国内でも有数の貿易商。囲っている女性はおおけれど、正妻は20年前に死別。子供は居ない。と、ここまでは報告書どおりでしょう?」
「知ってる」
バルコニーの手すりに座った神田はねそべっている。

「あと仕入れた情報としては・・まぁ、噂程度なんだけどね」
「なんだよ」
「・・・・屋敷のどこかから、変な音がするって」
「変な音?」
「そう」
首をもたげた神田に、はこくんと肯いた。

「機械音とかなんとか。別の人の話によると、奴隷を実験台にして変な薬作ってるとか。…まぁ良い噂って言うのはかけらも無かったわ」
ため息を吐いてバルコニーに肘をついたに反し、神田は座る。
そしてバルコニーの外、今貴族の流行だとか言う迷路庭園をどこか遠い目で見ながらぼそりと呟いた。

「妙な薬…か」

「どうかしたの?」
「・・・・・イノセンスが使われている可能性が有る」

「は?嘘」
「有りえねぇ事じゃねぇ。奇怪を生むんだからな、イノセンスは。妙な薬の精製にイノセンスが使われててもなんの不思議もねぇ」


確かにそうだ。

不思議なことが起こる場所に、イノセンスが有る。
それはイノセンスを探す手がかりであり、イノセンスが神の意思であると言うことをあらわしている。


「よし、わかった。ゴードン卿に接触してその薬について調べてみる」
「馬鹿!そいつ女好きなんだろうが!てめぇが近づいたりなんかしたら・・・・」

突然神田が言葉を切って、バルコニーの手すりからの足元に降りた。
なんだろうとふと顔をあげると、立派な服を来た男性が立っていた。

「今晩は、レティシア嬢」
レティシアとはの偽名。

この男性を、は知っていた。

パーティの開始を、乾杯と共に告げた、主催者。
この世の贅を楽しみまくっているであろうと思われる、その大きな腹。
目にはアルコールのせいか、それとも平常からそうなのか、いやらしい色が浮かんでいる。


「・・・・良い晩ですね、ゴードン卿」
は口元に笑みを浮かべながら受け答えをした。
さっきまで何度も微笑んでいたので引きつった名残が出そうになり、慌てて扇で隠す。

それに気が付いていない様子で、ゴードン卿はの足元に目を向けた。

「ほう。そちらがあなたの同伴者ですか」
「あ、はい。この猫(こ)の入場許可、どうもありがとうございました。お礼に伺おうと思っていたのですが…」

「礼には及ばんよ」
気取った様子で手に持ったグラスをぐいと飲んだ。
唇の端に飲み切れなかったワインが残っているのが汚らしく思えて、は思わず眉を潜めそうになった。

そしてゴードン卿はとろんとしたまぶたで、を眺めて口を開いた。
「・・・そうさなぁ」

「・・・?」

ゴードン卿は値踏みでもするかのように、上から下までねっとりとを見る。
それが居心地が悪くて、何より気持ち悪い。

早くこの場から離れたいが、任務のことも有り、ただつったって居るしかない。

「…今夜、どうだ」
は?と言いかけてはその言葉を飲み込んだ。


・・・・誘われているのだ、今夜の、夜伽に。


好色家と言う情報は大あたりだな、と思いながら、チャンス!と頭の端で言葉が点滅する。

別にベッドまでご一緒しなくても良い。
ぎりぎりまでにイノセンスを見つけ出し、早々に退散すれば良いのだ。


「・・・・えぇ」
出来るだけ、艶っぽく。
その一言でよかった。

ゴードン卿は肉のついた頬を吊り上げて(笑ったようだ)、満足そうにぐふ、と唸ると、
「パーティ後、ボーイか何かを迎えにやりましょう」
そう言ってもう一度ねっとりとを眺めてから、バルコニーを出ていった。



がほっと安堵の息をつく中、神田は、その夜に光る目をぎらつかせ、ゴードン卿の背中をにらみつけていた。









なんか私、こういう気持ち悪い男を敵役として出すの多いな・・・。


けい



06,04,19