『灰星学園』。
この学園の歴史は、江戸時代までさかのぼる。
江戸時代末期。日本は鎖国をしながらも、長崎だけは世への扉をしぶしぶながら開いていた。
これにより、渡来した外国人の多くは長崎に住んでいた。
その外人の中には家族連れで日本に移住してくる者も多く、その子女のための日本語学校が開かれたのが、この学園の前身である。
それ以来、戦争などにより多くの波を受け、幾度も移転を重ねながらも、初代校長が説いた不屈の精神により、現在に至るまでこの学園は続けられてきた。
現在では赴任してきた外国人家族の子女などだけではなく、日本人でありながら外国で暮らしていた帰国子女、また、外国語を習得したい者のための学校として名高いまでの地位を築きあげた。
この学園は幼等部、小等部、中等部、高等部、大学からなる。
しかし一環性の教育を求めているわけではなく、どのような年代のものもこの学園で学ぶことができる、という環境作りをしていくと自然にこのような形となった。
この学園入学にはいわゆる一般的な筆記試験などは存在しない。面接のみである。
「・・・・説明長いのよ」
皆口をそろえてこういう。
「写真とかないの?写真とか」
ない。
「・・・・・面白みのないパンフ。生徒集める気はあんのかしら」
特にない。
「それにしても、なーんでこんな学校受かったんだか・・・あ、歴代生徒会長だって・・・」
ジョゼフ・ベルナール
ロビン・ホワイト
ジュリアン・ヘッセ
ルドルフ・ワイマール
ポーリーン・ダニエル・サリバン
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「やっぱ外人が多いなぁ・・・・」
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アルマ・ジーン
夏原正蔵
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「いるじゃん、日本人。さーて、今年の生徒会長は・・・っと」
最後のページ。送る直前に差し込まれたであろうその紙には、ただ簡潔に、一つの名前だけ。
「・・・・女か男かわからない名前ね。」
・・・そう言っていられるのも今のうち。
「・・・・ってあぁ!ひ、飛行機!い、今何時・・・離陸まであと10分しか・・・・!ぎゃぁぁぁ!」
少女は叫びながら搭乗口へ駆け出す。
スーツケースを器用に操り、少女は切符をポケットから取り出した。
イタリア発、羽田空港行きのチケット。
「待って待って飛行機−−−っ!!」
搭乗口を閉鎖しようとしていた添乗員さんに、目をむいた少女はイタリア語で叫んだ。
    
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