月明かり、さやかに。
そよそよと、夜の寒気を含んだ春の風が梅の香りをはらんで行く。
障子の隙間から漏れるそれらに、さらさらと前髪を撫でられたはうっすらと目を開けた。
ぼんやりと見える柔らかい光。
瞼を持ち上げると、その瞳には満月の輪郭がくっきりと映る。
「・・・今日、満月だったんだ」
寝起きのかすれ声でそう呟き、緩慢な動きで上半身を上げる。
肩から夜具がするりと滑り落ちた。
それを引き寄せて膝にかけなおすと、は目をこすって、障子の隙間から覗く月を見上げた。
風がやさしくの髪をすり抜けていく。
(・・・月見でもしようかな・・・・)
ふとそう思い、我ながら良い考えだとは思った。
こちらの世界に来てからというもの、京の美しさには驚かされてばかり。
平家やら源氏やらの問題で走り回ってはいるが、それでもその自然は現代から来たには強烈に映った。
今日の満月も、この梶原邸の美しい庭に出て眺めればとても素敵に見えるはず。
は布団から出ようと動いた。
しかし、つんと何かに引っ張られ、阻まれる。
見ると、白龍があどけない寝顔での小袖の袖を握っていた。
(・・・可愛いなぁ)
は微笑んで、“ごめんね”と小さな紅葉の手をゆっくりと広げていく。
白龍の手からするりと袖が抜けた。
そして白龍の布団をかけなおして、立ち上がる。
夜具のぬくもりが離れ、裸の足が畳に触れる。
白龍と、隣の部屋で寝ている朔を起こさないように。
障子をゆっくりと開け、忍び足で外に出、そして障子をきちっと閉じる。
見上げると、月明かりが眩しいくらい。
落ちてきそうな望月。
は縁側をそろそろと歩き出した。
+春宵+
「眠れないのか?」
「わぁっ!」
は飛び上がった。
あわてて振り返った矢先、端正で見なれた顔面がドアップで映る。
それも子供に諭すように、口元に人差指を添えて。
「ば、馬鹿!大声を出すな!皆寝ているんだぞ!」
「そういう九郎さんのほうが大きな声出してますよ!」
「ぬっ・・・!」
小声で怒鳴り返され、九郎は頬を羞恥で染めて、立ちなおす。
その姿はいつもの武者姿ではなく、寝るときに着る小袖に、肩には袿を羽織り、手には愛用の太刀を携えている。
「・・・・どうかしたんですか?」
「?何故だ?」
「太刀」
手元を指差すと、九郎はそれを軽く持ち上げる。
「あぁ、物音がしたからな。賊か何かと・・・」
「え?ご、ごめんなさい!」
はあわてて頭を下げた。
音をたてずに歩いていたつもりだったが、九郎の耳には響いていたらしい。
「いや、気にするな。大事無ければいいんだ」
いつもの太陽のような笑顔でそう言う九郎。
しかし、源氏の御曹司として日々走り回っている九郎を起こしてしまい、は罪悪感で顔をゆがめた。
「お前はどうしたんだ?」
「え・・・・あ、あぁ私は」
は二人に光を零している月を指差した。
「月が綺麗だったので。思わず出てきちゃったんです」
「そうか・・・今日は望月だったな」
「はい・・・・」
も九郎に倣って夜空を見上げる。
九郎がふとあごに手を当てた。
「月見でもしたくなるな…まだ卯月だというのに」
「私、そう思って出てきたんですよ」
「そう言えば、今朝弁慶が団子を持ってきてたぞ。患者さんのご家族からいただいた、みんなで食べてくれと言っていた」
「わぁ!じゃあ私お茶煎れます。」
「よし」
話は素早くまとまり、二人は連れ立って台所へ向かった。
「本当にお酒じゃなくてよかったんですか?」
はお茶の乗ったお盆を九郎の隣に置き、それを挟んで自身も腰を降ろした。
団子運びは九郎の係りで、その役目を終えた九郎はすでに座って庭を眺めている。
ここなら皆の寝所から離れており、なおかつ月と庭が綺麗に見える、と言うことで九郎が選んだ場所だ。
もそんな場所なら、とすぐに是の返事を返した。
台所では自分用にお茶と、それから九郎のためと思い、徳利に手を伸ばした。
しかしそれに気がついた九郎が、
「なんだ。は酒好きだったのか。」
と、さも驚いた風に言うものだから、は眉を吊り上げた。
「違います!」
そしてずいと九郎に徳利を出す。
「九郎さん用です」
「あぁ、俺は茶で良い」
「はい?」
それで徳利を持ってこなかったのだが、九郎はに遠慮したのではないだろうか。
「かまわない。もともとそんなに好きなほうじゃないしな」
「え?でも宇治で…」
そう。九郎は宇治川で惟盛との戦の後、兵たちと一緒になって遅くまで酒を飲んでいた。
「あれはしかたない。勝利の盃に大将が参加しないとあっては兵たちの信頼関係にかかわる」
「そういうものなんですか・・・」
「おまえこそ、よかったのか?女の身で酒飲みと言うのはあまり感心しないが、俺に遠慮することは無いんだぞ」
「だから違いますってば!」
九郎からしてみれば気をつかっていたのかもしれないが、は別に酒好きではない。
のにもかかわらず酒好きだ、酒飲みだと言われ、は良い気分がしなかった。
「もう!先食べますからね!」
「あ!こら!きっちり半分こだといっただろうが!」
「聞いてませーん」
は手に取った団子を口に含んだ。
「あ、おいしー!」
弾力、甘味、共に申し分ない。
その言葉を聞き、九郎も慌てて一つを口に放りこんだ。
「む・・・・!旨いな!」
「でしょう?あ、お茶。はい」
「すまない」
九郎はからそれを受け取ると、ずずっとすすった。
ももう一つの湯のみを手にとって口を付ける。
小袖一枚では少し涼しいな、と思っていたから暖かいお茶は体が喜ぶ。
ふいと、空を見上げた。
は思わず目を細める。
「綺麗ですね…」
「あぁ」
九郎ももぐもぐしながら空を見上げる。
「・・・・私の世界ではこんなに綺麗に見えることはめったに無いんですよ・・・」
「そうなのか?」
「はい」
町の明りは深夜でも絶えることは無く、いつまでもこうこうと輝いているのがの世界の常だった。
その点こちらでは電気と言うものがないから、こんな時間であると外の明りは月明かりしかない。
良いもの見ているなぁとは思いつつ、団子の入った皿に手を伸ばす。
が、その手に掴む感触がない。
驚いて目を皿に向けると、空だった。
もしや、と九郎を見ると、両手に一つずつ団子を掴み、ハムスターもかくやというほど頬を膨らませてもぐもぐしている。
「九郎さん!!」
「むぐ?」
「半分こって言ったのは誰ですか!」
ごっくんと口の中のものを飲み込んだ九郎は、目を逸らし、さらに左手のものを口にいれる。
「あぁ!」
「・・・・・・・さっさと食べないおまえが悪い」
もひもひと咀嚼をしながら、九郎は言い訳のようにそう呟いた。
はだんと立ちあがった。
「月見でしょう?!だから私は月を見ていたんです!!」
「俺も月を見ていたぞ。見ながら食べていたんだ」
へ理屈ばかり言う九郎に、は恨みをこめてその長い髪をぐいと引っ張ってやった。
がくんと後ろにのけぞり、九郎は団子を喉に詰まらせる。
「ごっほっ!ごほっ!ぐっ・・・!」
九郎の目じりに涙が浮かぶ。
あわててお茶を飲み、九郎はに怒鳴った。
「なにをする!」
「食べながらしゃべらないでくださいー」
「もう飲み込んだ!」
「ウルサイですよ」
は再度九郎の髪を引っ張った。
「こ、こら!離せ!」
「食べ物の恨みは深いんです」
ぐいぐい。
「わ、わかった!これをやる!やるから!」
よほど痛いのか、九郎は残った右手の団子を差し出した。
はぱっと手を離す。
「それでいいんです」
にっこりと笑って座ったに、九郎は半分に割った団子を渡す。
「ほら」
「・・・・・・半分?」
「もらえただけ有り難いと思え」
言って九郎はその半分を口に放りこんだ。
口に放りこまれてはにはなす術がない。
仕方ない、ともらった半分を口にした。
ひゅうと風が吹いた。
その風がひときわ冷たく、は無意識に身震いした。
「なんだ。寒いのか?」
もうすでに食べ終えた九郎が首をかしげた。
は団子を飲み込み、小袖を掻き合せると首を振る。
「大丈夫です」
「大丈夫と言う風ではないぞ」
言って、九郎は袿の片方の肩を落とし、それを広げた。
「ほら。こい」
「はい?」
は頭にはてなマークを付ける。
こい、とはどう言う意味だろう。
・・・・・・もしかして、もしかすると
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あそこに入れ、と言うことだろうか
は顔を真っ赤にして顔の前で手を振る。
「い、いいいいいいいです!寒くないです!」
は17歳。
九郎は22歳。
からすれば立派な異性で、故にそのような状況は理性が抵抗した。
それに今になって考えてみれば、自分は小袖姿。
パジャマと同じ格好で、それで異性と同じ上着の中に入るのは・・・
はさらに頬を染める。
その様子を見ていた九郎はさらに心配した。
「頬が赤いぞ。寒いんだろう。早く入れ」
「い、いいですってば!」
「遠慮するな。幼いころ、こうしてよく犬をいれてやったんだ。暖かいぞ」
犬?
「・・・・は?」
「俺がまだ奥州に居たころだ。雨で犬が震えていてな。俺の内掛けにいれてやったんだ」
「い、犬?」
「そうだ。暖かいんだ、これが」
だから、と九郎はさらに催促する。
は変に意識していた自分が恥ずかしく、また、馬鹿らしくなった。
(私は犬と同列ですか・・・)
何だか異性として意識してもらっていないようで、しいては女としての魅力が無いようで、悲しい。
「ほら」
九郎が手招きまでくわえてを呼び寄せようとする。
はため息をついてこの天然御曹司を見た。
目はなぜか嬉しそうで、早く早くと手に持った袿の片袖を揺らしている。
その姿はまるで九郎のほうが子犬のようだった。
はその姿に肩をすくめ、寒いのは本当だし、とゆるゆると九郎のほうへ寄る。
九郎は間にあった二つの盆を後ろにさげ、自身もいそいそとに近づく。
そしてふわっとの肩に袿を掛けてやった。
肩が触れた瞬間はどきりとしたが、暖かさにその胸の鼓動もだんだんと緩くなっていった。
「暖かいだろう?」
見上げると、九郎がどうだ、と言わんばかりに笑っている。
「はい」
も微笑み返した。
そして肩にもたれかかる。
団子を食べたせいか、暖かいせいかひどく眠たくなってきた。
多分その両方だと思いつつ、はその眠気をとどめる術を知らない。
「・・・・あったかいですよ」
「そうか」
満足そうに肯いて、九郎は夜空を見上げた。
「望月・・・か。」
「・・・・・・」
「?」
「・・・・・・」
反応がない。
どうしたのかと肩元を見やると、のまぶたは落ちている。
彼女は、すやすやと眠っていた。
「まったく」
寝る早さが子供のようで、九郎は苦笑する。
そして肩の袿を引き上げてやろうと手を添えて、ふと思った。
(・・・・細い)
子犬より肩幅があるのはあたりまえだと思うが、細い。
弁慶や景時と肩を組んだことがある。
二人とも大男と言うわけではなく、細身であるが、今自分が手に感じている感触はそれとはまったく別物かと言うほどだった。
(ちゃんと食っているのか、こいつは)
眉を潜めて袿をちゃんとしてやり、なにげなしに九郎はの顔を覗きこんだ。
「・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・」
二拍ほどおいて、九郎はくるりと反対側を向いた。
それでも何か抑えられないものがあるのか、口元を手で抑える。
その顔は彼の好きな柿以上に真っ赤だった。
(な・・なんだ?の、は…にょ、にょ、女人ではないか…!)
将臣が居れば今ごろ気がついたのか、と言う突っ込みをいれただろう。
九郎はもう一度そろそろとを見た。
すうすうと寝入っている。
それはいつも九郎とぽんぽんやりあっているではない。
怨霊と見つけては真っ先に飛びこんでいくではない。
まつげが長く、顔も小造りで・・・・自分とは違う。
弁慶や景時や譲とも違う。
突然横の妹弟子が“女”に見えた。
触れている肩が熱くなってくる。
のゆっくりと上下する胸にまで目がいく。
小袖姿の。
沸騰するんじゃないかと言う顔で、九郎は必死に心で葛藤する。
(ち、違う!違う!は…違うんだ!)
何が違うのかは自分でも分からないが、九郎の思考回路は無茶苦茶に絡まってそれどころではなかった。
から離れたいのだが、がこちらに寄りかかって寝ているため、そうもいかない。
(だ、駄目だ駄目だ!くっ!)
九郎はキッとを見た。
は相変わらず規則正しい吐息と共に寝入っている。
(い、犬だ。そうだ。子犬と一緒だ。ただちょっと柔らかく、細く、女なだけで…そうだ、は女・・・あー!違う違う!!俺は馬鹿か!)
弁慶に尋ねれば百万ドルの微笑みと共に肯定してくれるだろうが、あいにく彼は離れたところで就寝している。
そして九郎は当然寝ることも出来ず、一晩中悶悶しつづけることになった。
結局違うとか何とかぶつぶつ言っているうちに夜があけ、そして朝一番早い朔に、真っ赤な顔で延々とわたわたしているところを発見されるのだ。
〔END〕
初の遙か夢です。
九郎さんって・・・・可愛いよね!
という自分の妄想から広がり続けてこんなに長いお話になってしまいました。
どこかで切ろうかとも思ったんですが、キリのいいところがなくて・・・。
私の好きな九郎さんってこんな感じです。
けい
06,09,27
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